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孤独死 [日々思うこと]

昨日、久しぶりにスーパー銭湯に行って、お風呂の後に施設内の食堂で食事をしていた。 ちょうどテレビの見える席で、何の番組だかはわからないけれど「孤独死」が増えていると、その実態を報じていた。 最近、よく見聞きする「孤独死」だけど、そんなに不幸な死に方なのかなぁ?と考えてしまうシングルの私なのです。

沢木耕太郎の「人の砂漠」という本の中に、「おばあさんが死んだ」という話があるんだけど、餓死寸前で離れたくない家から引き離され、病院で「帰りたい~」って言いながら死んでいくおばあさんの話。 家からは白骨化した血の繋がっていない弟の遺体が発見される。 おばあさんはホントはこの家でひとり死んでいきたかった(多分)だけど、餓死寸前で苦しくてうめき声をあげ、近隣の人の通報により病院に収容されてしまう。 生き物としたら、やはり苦しいときには声を上げてしまうものなんだろうかな。 このおばあさんの死に方は「孤独死」にはならなかったけど、本人にしてみたら不本意な死に方だったのかもしれない。

つい最近映画化された「星守る犬」(原作はマンガ本)のお父さんも孤独死(正確には犬が傍にいるから孤独じゃないけど)だけど、彼の死に方は決して「不幸なもの」としては描かれていない。 泣けて仕方ないのは、飼い犬のハッピーが主人の死を理解できず、ずっと傍で起きてくれるのを待っているところ。

私には子孫がいない。 両親は健在だけど、順番としたらおそらく先に逝くはずで・・・。(逆だと困ってしまうので) そうなると、家族(肉親)に看取られてての「死」はまず不可能なわけで。 ひとりで死んでいくことは、そう遠くない未来にほとんど必然としてやってくるものだと思う。 

人は生まれた限り、いつか必ず死ぬもので、いまわの際のありようがそんなに大事なのかぁ?って疑問に思うことがしばしばありますね。 人が孤独な生き物なのは、今も昔も変わっていないだろうに。 ただ、社会のありようが変わって、今までは表面化しなった珍しい死に方がクローズアップされているだけなんじゃないだろうか?と思ってしまうんだな。 戦争があったころは、たくさん人が死んでもニュースにはならなかったでしょ? 人間、「ひとりで生まれてひとりで死んでいく」ものなんじゃないんですか? 死に際のことよりも、生き様のほうに目を向けたほうがいいとは思うのですが。

あ、でも、「死」を語ることは「生」を語ることと表裏一体なのか。 うーん、深いのかもしれない。 私としては、死に際に「これでやっと楽になれる~」って思いたいです。 もう起きてこなくてよい、永遠の眠りにつくんだからね。

このブログ、今までは軽井沢や山のことばかり書いてきました。 今でもそれなりのヒット数を記録するのは山の名前で検索に引っかかるからかとは思うのですが、今年に入り遊びに行く機会が激減して書くこともなく、かといって閉じてしまうのも不本意なので、これからは読む人のことよりも、自分のつぶやき的な、心の日記を書いてみたいと思います。 よろしければこれからもお付き合いください。

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