治療と延命 [日々思うこと]
人手不足 [日々思うこと]
物欲、経済力 [日々思うこと]
夏以降、特別養護老人ホームの見学をしていて思ったこと。 人間、結局最後は「身一つ」なんだな・・・と。
平成18年以降に出来た建物は昔の大部屋と違い基本的にすべて個室になっている。 最初、その広さと建物の立派さに驚いたけど、従来型の4人部屋の方がなんとなく暖かく、人の気配が近くてほっとできるような気もする。 プライバシーはなくなるけど、人に世話をしてもらわなくては生きていけなくなってもプライバシーって最優先されるべきものなんだろうか? 色々と考えさせられることが多い。
老人ホームでは業者の訪問販売なんかもあるそうだ。 衣類とかお菓子とか。 先日ケアマネさんに聞いたら介護用品なんかも来るそうだ、靴とか買うんだとか。 車椅子や杖なんかレンタルだから、体の状態が変われば違うものへの変更も必要になるんだろうな。 どこへ行っても物欲は掻き立てられるようにできてるんだな・・・とちょっと切なくなった。 入所者の経済状況も色々で、買い物を出来る人と出来ない人がいるだろうになぁと。
父がこちらに来てからリハパン(リハビリパンツの略なのね)と呼ばれる紙パンツ利用者になり、その商品の出来栄えのよさに驚く。 使い捨てされるパンツ。 いったいどこの国の木を切って作ってるんだろう。 買い物に行けば目がくらむような明るい照明のなか、溢れる物たち。 便利そうなものを見つけるとつい買い物カゴに入れたくなるけど、それってどうしても必要な物?って悩むことしばしばだ。 パソコンを開けば最近検索した物の広告が否応なしに飛び込んできてうっとおしいことおびただしい。
消費税のアップが決まり、総理の演説の中に「経済発展が最優先」的な発言を聞くと、ホントにそれって一番大事?って素朴な疑問がわいてしまう。 経済→お金至上主義に聞こえるから。 何をするにもまず「お金」そして欲しい「物」は尽きないよう、マインドコントロールされていませんか?
コンビニやスーパーでもらうレジ袋を見て、この袋が積もり積もって地球の氷を溶かし、シロクマを絶滅に追いやっている・・・。 そう思うけど、ウチの自治体ではゴミは白か半透明のポリ袋に入れて出さなければ回収してもらえず、昔のようにポリバケツ(もちろん木の桶でも)で出しても無理で、身近なところで言えばそんな風に「時代」っていう抗いがたい流れのなかで自分も生きているんだなと思う。
先日テレビでグリーンランドで暮らすイヌイットのドキュメンタリーを放送していて、その村の少年少女たちが「この村には未来がないから、もっと南の大きな街に行きたい」と言っているのを聞いて、「便利」や「豊かさ(物質的・経済的な!)」を求めるのは地球規模で起きている人々の欲求なんだなぁと感慨深かった。
日本でも、人口密集地と過疎地の格差が広がっていて、田舎に住む人は仕事(お金)と便利を求めて都会に出て、過疎化の進む地域では無医村は珍しくない。 そして田舎には「何もない」って言うけど、じゃ何がどれだけあれば満ち足りて暮らせるんでしょう。
生き物の死亡率は100%で、今のところ億万長者でも不老不死は買えないことになっている。 自分の持っている時間だけが結局は最大の財産じゃないんだろうか。 自分の最後はどこで(施設?病院?自宅?それとも野外か?)迎えるにしろ、あの世にはなにも持っていけないのだ。 (いや・・・、三途の川の渡し賃は持っていないといけないのか??) 物や金に振り回されず、極力シンプルに、心理的にも穏やかに、出来ることなら季節がうつろうことを喜びながら日々を生きていけたらいいのになと思うのでありました。 内陸部である埼玉の、しかも人口密集地の夏はまさに「酷暑」で、もうすこし穏やかな気候のところに転居したいと思いつつ、毎年短くなっているという秋を感じている今日この頃です。
写真は先日見かけた季節の果物「栗」 あまり肥料とか必要なさそうに見えるし、「桃栗3年、柿8年」っていうから植えて3年で収穫できるのかな~などと考えながら、本当だろうかと興味津々。 十数年前に済んでいた所沢のはずれでは近所に栗畑が広がっていたけど、最近減りましたよねぇ、宅地化されて。 本来なら拾って楽しめる「秋の味覚」だったのに、買うと高いんだな、これが。
老化 [日々思うこと]
チョビは満8歳。 ウチに来てからずっと私がトリミングをしてきた。 8歳になった頃から、皮膚にシミが見られるようになった。 少しずつ増えてきて、尻尾に出来たシミはバリカンを入れるとはっきりわかるようになってきた。
白いトイプーは元々あまり毛量の多い子は少ないけど、チョビはそこそこの量のある子だった。 けど、今年に入ってから、後脚の先のほうは毛が伸びなくなってきた。
普段から、どのくらいの周期でトリミングしているかの記録として、洗って乾かした後とカット後の写真をデジカメで撮るようにしている。 夏の頃までは脚先にブレス(丸く長めに残すカット)をつけられていたんだから、寒くなってから急に毛ぶきが悪くなってきたようだ。 そういえば、鼻先の毛もなんとなく薄くなってきた・・・。
チョビを連れて散歩をしていると、「トイプードルは色々なカットが楽しめていいですね」と言われることがたまにある。 私も下手ながら、真っ白でふかふかにトリミングしたチョビを連れて歩くのは楽しく、「きれいですね~」とお世辞でも言ってもらえれば鼻高々で、とてもうれしい。
昔、トイプードルを飼うことに決めて探していた頃、「トイプードルの館」というHPを見つけた。 香川に住む女性が作っていたサイトだったのだけど、蘭ちゃんというお母さんとその2匹の子供たちの成長の記録だった。 それはきれいな親子で、カットもウチのようなペットカットではなく、イングリッシュサドルやコンチネンタルなどのショーカットで、とてもシロウトさんが飼っている様なレベルではなかった。 まめにプロのトリマーさんにカットしてもらっていたのはもちろんだけど、普段のお手入れも熱心にされていたのだと思う。 久々にHPを訪れてみると更新されていたのでメールを送ってみた。 すると返事をいただけ、まもなくHPを閉じる予定だと知らされた。 ワンコたちの写真は、8歳になるまではトリミングのたびに撮っていたけれど、それ以降は老いの記録になってしまうようで辞めてしまったと書いてあった。
ウチのチョビにも顕著な「老い」の兆候が出始めたのだ。 8歳くらいではっきり見え始めることが多いのかもしれない。 トリミングは面倒くさく思うこともあるけど、手入れをしていて幸せに感じることもある。 自分の犬の手入れを自分で出来るってことはある意味恵まれているし、ワンコとのコミュニケーションでもあるし、体の状態をつぶさに見て異常がないか確かめる機会でもある。 これからますます老いて、かっこいいカットが出来なくなっても、薄毛でみっともなくなっても、最後まで私が手入れをし続けるのだ。 ヨボヨボになってトリミングテーブルに立っている体力が無くなっても、耳が聞こえなくなったり、目が白内障で見えなくなっても、最後まで、最低限の清潔を保つための手入れをし続けようと思う。
私の髪にも最近白髪が増えてきた。 元々白髪の少ない家系のようで、いまだに白髪染めとは無縁だけど、今は定期的に目立つものを見つけてはハサミでカットしている。 数年後には白髪染めが必要になるんだろうな。
チョビと私は今、丁度同い年くらいだ。 ワンコは人の4倍の速さで歳をとると言うから、これからどんどん追い越されて、チョビのほうが「先輩ばあさん」になっていくんだろう。 お互い病気などせずに、元気に毎日送れるよう、願う。 1日でも長く一緒にいられるように、祈る。
今年も、チョビと一緒の思い出が、たくさん出来ますように。
笑いのツボ [日々思うこと]
年末年始はテレビがつまらない。 普段バラエティーなどのお笑い番組を見ない私には特に退屈な時期だ。 仕方がないので最近はあまり行っていない図書館に行って、目に付いた本を何冊か借りてきた。
今日、その中の一冊、倉本聰氏の「北の動物園」の中の「なめる」というエッセーを読んで、ひとり大爆笑してしまった。 こんなに笑ったのはずいぶん久しぶり。 どういう話かというと、仕事で唐十郎さんと出会えたので一緒に飲んでみたいと頼んだら、先方のスタッフから「気に入られると噛まれます」と注意される。その話を聞いて、昔飲んで機嫌が良くなると相手をなめる(舐める)人がいたことを思い出す。飲み会の席で、いきなり顔をベローッっと舐められていたく驚き、唐十郎さんとの飲み会ではなるべく距離のある席に座ったという話。 文章がまた、短いながらも絶妙におもしろい。
先日、「世にも奇妙な物語」に「来世不動産」という話があった。 死んだあと、生きていたときにためたポイントで次に何に生まれ変われるのか決められる不動産屋に行くことなり、主人公の男は不動産屋の勧めで「セミ」に生まれ変わる。 理由は土の中に長くいなくてはいけないけど、地上に出てからの数日間はとにかく「キモチイイ」の一言に尽きるんです!と言われたから。 男はセミになり、「きもちいいーーー!!!セミサイコーーーッ!!!」と叫んでいるところで話は終わる。 これもすごく面白かった。
ひとりで暮らしていると、こういう何気ないことを話せる相手が欲しいと思うことがある。 笑いのツボや「おもしろい」と思えることを共有できる相手がいたらどんなに楽しいかな~と。
ほとんどの人が家族との時間を楽しんでいるであろう年末年始。 チョビを相手に「犬は舐めるのが挨拶だよねぇ」なんて独り言(?)を言っている私はどうなのよ? な晦日でありました。