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消失記念日 [日記]

南牧の家が火事で無くなってから、ちょうど今日で2年。今朝、カレンダーを見ていて気がついてしまった。

あの日は別府の親の家にいた。 車を買い替えて、車中泊で四国を回り、佐多岬からフェリーに乗って別府へ付き、親を旅行に連れて行く予定でガイドブックを買い込み、「明日ゆっくり見ようね~」と言って就寝した翌朝、朝の5時ごろだったか、南牧の友達から自宅が家事だと電話が入った。

旅行の話はあえなく立ち消え、地元警察署からの電話で、家はすでに全焼、何も残っていない状態だとわかった。 あわてて帰っても仕方ないので、週末の高速道路割引を使って群馬に戻った。 待っていたのは片付け途中の無残な自宅。 中途半端に焼け残った道具たち。

近所の人たちに「ホントにいなくて良かったわね~」と繰り返し言われた。 いたらおそらくこの世の人ではなくなっていただろう。 地形的に逃げ場のない状況だった。 出火時間も明け方だったから、寝ぼけていて逃げられなかっただろう可能性が高いし。

「災難」っていうのは、どう気をつけていても避けられないものだと、あのときに実感した。 翌年起こった大きな震災のことを考えても、やはり「災難」は避けがたいもの。 つまりは「運命」なんだ。

「不幸中の幸いだったよね」「あなたは運が強いのよ」「神様は耐えられる能力のある人に試練を与える」とか、友人たちは色々なことを言ってくれる。

ここ数年の出来事で、自分はずいぶん変わったと思う。 変わらざるを得なかった。 起こってしまったことは無かったことには出来ないから、事実を噛みしめながら、現状を見つめていくしかない。

仕事をなくしたことは大変なことだ。 でも、その分自由な時間を持つことが出来た。 家財道具をなくしたことは悲しいことだ。 でも、その分身軽になれた。 親と離れてしまったことは寂しいことだ。 でもその分身近な人を大切にしようと思える。

ポジティブにがんばることだけが価値あることだとも思わなくなった。 疲れたら休む、弱音も吐く。 涙を流し、独り言を言い、自分の弱さも認めてあげる。 そのたび、愚痴を聞かされる友人には申し訳ないと思うが、いてくれて感謝・感謝だ。

今年の終わりごろ、生まれてきて半世紀。 確実に人生は「半分」終わってる。 でもまだまだ続くであろう自分の人生。 いつぱったりと終わっても悔いないように、やりたいことはやっておかなくちゃと思う。 動き回ることもそうだけど、一箇所にじっとして、じっくり平穏な毎日を大切にすることも人生の楽しみだと思うし。

さて、これから何が起こるだろう? 楽しいことがたくさんありますように♪

文章ばかりでつまらない日記なので、チョビの最新映像をUPしておきます。

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唯一の(?)まともな家財道具であるベッド。 チョビと私の安らぎの場。

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チョビおはよ~ってひっくり返してみたら「萌え~」のポーズでご挨拶。

この子がいる限り、どっかへ行方不明になんかなれない。 大事な「わが子」です。[揺れるハート]


埼玉です [日記]

なんと!7ヵ月半ぶりの更新です。 チョビママはどこに行ったのか、いったい生きているのか・・・とご心配いただいた皆様。 大丈夫です。 私は元気に生きています。[手(チョキ)]

昨年の夏、北海道を周遊して、私が帰りたい場所は両親が移住した九州ではなく、自分が育った埼玉なのだと思いました。 しかし埼玉にはすでに実家もなく、私には定職がなく、希望のところに住むことはそれほど簡単なことではありませんでした。 それでも、友人のつてをたどり、力を借り、やっと念願の埼玉県に部屋を借りることが出来ました。 [るんるん]

今年の冬はことのほか寒く、古い木造のアパートは風通しが良いせいか(?)朝方の室温は限りなく0度に近くなったりもしました。 埼玉ってこんなに寒かったっけ?? それでも寒冷地のように水道が凍りつくこともなく、歩いて行ける距離にスーパーもあり、車で10キロ圏内にたくさんの図書館やショッピングモールなどもある便利なところです。

昨日は久しぶりに暖かく、3月下旬の陽気とやらに誘われてチョビとのんびり散歩を楽しみました。 この町には何故かカッパが住んでいるようです。DSC06476.jpg

水路のある遊歩道なのですが、なかなか良い雰囲気の散歩コースです。[揺れるハート]DSC06477.jpg

荒川の土手もいつもの散歩コース。 広々とした雰囲気はまさに「関東平野~」って感じです。 お天気が良いと富士山もきれいに見えます。[ぴかぴか(新しい)]DSC06482.jpg

まだまだ寒くて体も硬くなってしまいがちですが、あとひと月もたては春も本番。 関東近郊の山に出没の予定です。

さて、2012年のチョビママ日記、やっと始動いたします。(ゆっくりとですが・・・)[わーい(嬉しい顔)]


山に登ること [日記]

今年の春で、山に登ることを趣味にしてから8年になる。

20代のころは空前のスキーブームで、冬になるとスキー場にに出かけていたけど、高校のときの遠足で奥武蔵の山を無理やり歩かされてから、山に汗だくになって登るなど気が知れないな~と思っていた。スキーも30代になってから仕事に熱中していて丸7年まったくご無沙汰だった。ふとしたきっかけでインターネットで探したスキークラブの合宿に参加し、まったく技術の変わったスキー(カーヴィングスキー)に驚き、また熱中するようになった。 スキークラブで知り合った人に「6月の始めにマチガ沢雪渓で大会があるから行ってみない?」と誘われた。 そのときは「雪渓」という言葉さえ知らずにいた。 「スキーブーツとヘルメットをザックに入れて、トレッキングシューズを履いて板は担いで30分ぐらい登るからね。」と言われたので、急遽ザックとシューズを購入し現地に赴いた。 マチガ沢雪渓は谷川岳にあり、6月の新緑はそれはきれいで、世の中にはこんなにさわやかできれいな場所があるのかと思った。 大会はSLで、もちろんリフトなどないので歩いて登る。 コースは主催クラブの人たちがきれいに整備してくれる。 午前1本、午後1本。 あとは雪の上にシートを敷いてのんびりお弁当を食べる。 下山後は温泉旅館に泊まってご馳走と温泉。

スキーの準指導員の試験に合格した春。 なにか通年で楽しめる趣味がもてたらなと思った。 当時は西武池袋線の沿線に住んでいたので、駅に手軽に行ける山のパンフレットが置いてあった。 ザックとシューズは先の大会で所持していたので、これはお金もかからないし手軽かなと、ひとりで歩いてみた。 自分は心肺機能も低いし、長距離を黙々と歩くなんて向かないと思っていたけど、やってみるとコースタイム通りに歩けていたし、結構快適に楽しめた。 さっそくスキーの仲間で山登りをやっている人たちに色々聞きまくった。 入門書の類を買い漁り、遭難に関しての本も読みまくった。 関東では梅雨以降は近郊の低山は虫が多く、暑くて登れなくなる。 すぐに2,000m以上の高山へ目が行くようになった。 右も左もわからないので、ガイドが主催する登山学校、都岳連が主催するトレッキングスクール、長山協の主催する登山教室など、利用できるものは何でも参加して、あちこちの山に出かけてみた。 お金がかからないはずが、すぐに登山靴、ザックなど高山向き、小屋泊まり用などが必要になった。 クライミングも習ってみた。 冬山や山スキーも経験した。

夏山に関しては、団体山行にはすぐに自分には向いていないと感じた。 山岳会も探したけどどうも肌に合わない。 私はひとり暮らしが長いせいか、人と一緒の部屋だと熟睡できない。 小屋では一睡もできないことが何度もあった。 山を歩き始めて最初の夏には単独でテントを背負って歩くことを覚えた。 中高年になってから始めた山だから遭難だけは避けなければと思い、装備はお金に糸目をつけず、最良・最軽量で自分にあったものを買い集めた。 それでも最初に背負ったテント山行のザックは15キロになっていたと思う。 緊張しながら最初のテント山行は蓮華温泉から白馬大池まで。 白馬や朝日岳を周遊するはずが雨にたたかれ、足を豆だらけにしての敗退だった。 次は9月の3連休に槍ヶ岳へ。 上高地からだと人が多くていやなので、わざわざ飛騨側の西鎌経由。 双六小屋横のテン場で強風に煽られ、ボーゼンとしていると見知らぬ登山者がテントを張るのを手伝ってくれた。 西鎌は槍の直下まで穂先が見えない。 永遠に続くように思われたきつい登りで、小屋に着いたらまずトレイに行こうと思っていたのに、穂先が見えた途端にそんなことはすっかり忘れ、ザックを小屋横にほっぽり出してカメラだけ持って穂先に取り付いていた。DSCF0085.jpg

槍の肩にあるテン場は稜線上に棚田のように作られていて、眺望は抜群。 その代わり風は強い。前日の双六ですでに強風にたたかれ、自信をつけていたので不安なく泊まれた。 朝方テントに水滴がついていたので指ではじいてみたら、それは水ではなく氷で、9月とはいえ標高3,000mのすごさを感じた。DSCF0101.jpg

翌朝の槍ヶ岳。DSCF0105.jpg

登山地図を見ていて、どうしても気になるコースがあった。 黒部峡谷にある「下の廊下」だ。 山登りのコースではないけれど、1年のほとんどを深い雪に閉ざされ、一般の人が通れるのはたったひと月ほど。 峡谷沿いにつけられた道は人一人がやっと通れるくらいの幅しかなく、山側にワイヤーが通してあるものの、足を踏み外せばそのままかえらぬ人になるようなスリリングなコースだ。 ガイド登山を探してみたり、山で知り合いになった人を誘ってみたりしたけれど、結局都合があわず、それでもどうしても行きたかった。 阿曾原の小屋に問い合わせをすると「県警の正式許可はまだ下りていませんが、すでに整備は終わっています。スノーブリッジがありますが、はしごなどの設置は終わっていますから大丈夫ですよ」とのこと。 「スノーブリッジ???」なんのことやらわからないまま、まぁ単独だし、「怖いなぁ、無理だなぁ」と思ったらその時点で来た道を引き返せばいいやと決行することにした。 朝一番で扇沢から黒部ダムへ。 ダム直下に下りてスタート。 すぐに単独の初老男性とご一緒することになり、途中からはもうひとりテントを背負った単独男性とも同行することになった。 まだ紅葉には早いけど、それでもスケールの大きな景観に圧倒されながらの楽しいトレッキング。DSCF0245.jpg

阿曾原の小屋は冬には完全に畳まれてしまう小さな山小屋。 でも小屋横には立派なテン場があって温泉まである。 石鹸もシャンプーも使えない風呂なんて・・・と馬鹿にしていたけど、今までこれ以上気持ちのよいお風呂に入った覚えがないくらい心地よいものだった。DSCF0269.jpg

翌日は欅平まで歩いて憧れのトロッコ電車(黒部峡谷鉄道)へ。 糸魚川経由で電車、バスを乗り継ぎ、扇沢に置いた車を取りに行き、帰路に着いた。DSCF0343.jpg

この年の秋、常念・蝶ケ岳を周遊していて、蝶ケ岳からの下りでザックに白いトイプードルを背負ったご婦人と出会った。 ご主人と息子さん3人のパーティーだったが、「置いていくのもかわいそうでね~」と、おかげで日帰り山行しかできないと言っていたが、これを見て「この手があったか!」とひらめくものがあった。 ずっと「尻尾の生えた家族」が欲しかった。 当時はトリミングの学校に行っていたこともあり、チョビを迎えたのは山を始めて2年目の9月だった。 それ以来、ほとんどの山はチョビを同行している。 始めはこんな小さな犬が険しい山道を歩けるはずがないと、ベリーキャリーを改造したザックに大事に背負っていたのだが、ザックにチョビを乗せると軽く10キロ。 案外歩かせてみたらいけるんじゃないかとやってみたらその健脚には驚くばかり。 今では岩場でもちょいとつまんであげればスイスイと登っていくようになった。 チョビが来てからいったいいくつの山に登っただろう。 今年の夏で7歳になるチョビ。 もう高齢犬の仲間入りをしてしまう。 まだまだ一緒に行きたい山がたくさんある。 今年もあっちこっちに出かけたいと思う。

NHKの「グレートサミットへの招待」という番組を先日録画していて、今日たまたま見ていたら、印象的な言葉に出会った。 キャスターが田部井淳子さんに「人は何故頂上を目指すのか」と問うと、「知らない所が見えるから」と答え、「登らないとわからない?」との問いに「(登らないと)わからない、 知らないことを知るって言うのはすごく刺激的ですし、自分が生きてるってことを感じられるので、やっぱり頂上はすばらしい」と。 今の私は高い山や日帰り不可能な大きな山には行けないけど、その制約を踏まえたうえで、未知の場所を尋ね、「今生きている」ことを実感し続けたいと思っている。 なにより、山は気持ちのよいところだから。


2010年の思い出あれこれ [日記]

このブログ、今年は7回しか更新が無かったようだ・・・。 [あせあせ(飛び散る汗)] しかし、カウントは日々確実に増えて行き、すでに100,000ヒットを超え、まれに3桁のカウント数を記録する日もある・・・。 mixiのように足跡がつかないから、いったいどんな人が読んでくれているのかと、不思議に思う日々を送っています。

2010年は、私にとって大きなターニングポイントがあった年。 ざっとだけど、振り返って日記をUPしてみます。

2009年11月終わりから大分は別府にある親の家に来ていました。 2010年のお正月は母と母の犬モモと私とチョビで年越し。 写真は別府の駅前にある「ピカピカのおじさん」油屋熊八の銅像。 マントにぶら下がる子供がなんとも不気味(?)で妙な銅像です。1_640.jpg

正月明けに別府を出て、トレーラーを牽いて10日かけ南牧へ帰宅。 ものすごく寒い冬で、家の前の川は凍り付いていました。 家の水道が凍って洗濯はおろか、炊事の出来ない日もありました。2_640.jpg

2月になり、今度は電車で再び別府へ。 別府の動物病院でチョビに避妊手術を受けさせました。3_640.jpg

チョビのお腹の傷。 犬の身体は回復が早く、あっという間にお腹は元通りに。4_640.jpg

3月。 南牧へ戻り、3年3ヶ月牽いたチビトレーラーを売却。 所持した年月は短かったけど、結構な距離を牽いて走りました。 おかげでシビックから異音がするようになり、車の買い換えを決意。5_640.jpg

2010年の春は雪が多く、3月上旬にも大雪が。 春が遠く感じられました。6_640.jpg

3月お彼岸過ぎに軽井沢に降った珍しい雨氷(うひょう)。 降った雨がそのまま凍りつく現象です。7_640.jpg

4月、やっと春が来て、群馬の下仁田でお花見。[かわいい]8_640.jpg

下仁田よりすこし山奥の南牧にも桜が咲いた。。。と思ったらまた大雪。[バッド(下向き矢印)]9_640.jpg

長く辛い冬が去った後、南牧の春はすごくきれいでした。 今まで生きてきて、一番幸せを感じられた春だったかも。

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5月に入り、車を買い換え。 9年乗ったシビックは13万キロを超えていました。 別れは寂しいけど、新しい相棒と共に、また新しい旅の日々へ。11_640.jpg

GWがあけるのをまって四国へ。 淡路島をつっきり、鳴門海峡を渡りました。12_640.jpg

四国で唯一登った石鎚山。 5月中旬だというのに、霧氷に出会いました。13_640.jpg

佐多岬からフェリーに乗って大分入り。 別府湾SAのドックランにて母の犬モモと遊ぶチョビ。14_640.jpg

5月19日早朝、南牧の家が火災で全焼。 今年春に予定していたの九州周遊の旅は急遽中止となりました。[もうやだ~(悲しい顔)]15_640.jpg

6月はもろもろ再発行の必要にかられ、しばしの軽井沢滞在。 晴れ間をみつけては長野の山に登りました。 まずは火山レベルの下がった浅間山。16_640.jpg

群馬と長野の県境にある御座山(おぐらやま)。 シャクナゲの時期と重なり、とてもきれいでした。17_640.jpg

北信五岳のひとつ、黒姫山。 根曲竹の収穫時期と重なり、山は大にぎわいでした。18_640.jpg

6月は母が入院・手術をうけることになり、成り行きで別府へ。 母の入院中は慣れない町で母の犬の散歩係。

7月、母が回復したところで、大阪のランパパさんが四国の四万十川でカヌーキャンプやるから一緒にどお?と誘ってくれたので、佐賀関からフェリーで四国まで遊びに行きました。19_640.jpg

カヌーは・・・、絶対「沈」しないぞっ!と気合いを入れていたのに、大雨でずぶ濡れ。[ふらふら]20_640.jpg

夏は猛暑で動く気になれず、8月に出かけたのは由布川渓谷くらい。 別府からすぐの癒しポイントです。21_640.jpg

お彼岸が過ぎてやっと猛暑が去り、山登りを再開。 別府からの定番、由布岳。22_640.jpg

ちょっと足を伸ばして、大分と宮崎の県境にある祖母山。 中途半端な時期でもあったけれど、九州の登山人口の少なさに驚きました。23_640.jpg

10月は所用があり上京。 行きは北アルプスの焼岳に寄り道。24_640.jpg

帰りは山梨県の雨乞岳に寄り道。 甲斐駒ヶ岳がよく見える山です。25_640.jpg

10月別府に戻り、秋の湧蓋山(わいたさん)。 九重の外輪山で、三俣山がきれいに見えました。26_640.jpg

九重の一角、黒岳の中にある前岳。 紅葉がきれいでした。27_640.jpg

耶馬溪にも行ってみました。 鹿嵐山(かならせやま)。 低山ながら変化のある楽しい山でした。28_640.jpg

11月、再び東京と軽井沢へ。 行きには群馬の鼻曲山へ霧積温泉からのルートで登りました。29_640.jpg

南牧村にも遊びに行きました。 かつて住んでいた場所は畑になっており、作物が実っていました。30_640.jpg

軽井沢滞在中に12月となり、南牧村のOさんと佐久穂の茂来山(もらいさん)へ。31_640.jpg

茂来山の山頂ではひとりではありえない「鍋」。 自分の身体で背負えるだけの物で楽しむ。私の外遊びの原点を思い出せた1日でした。[るんるん]32_640.jpg

12月下旬。 4月に会って以来音信不通になっていた神奈川のはるママさんから電話があり、年末は親戚がいる熊本に来るので、別府にも立ちよるとのこと。 彼女は2008年の4月にこのブログ「女性でトレーラー」http://chobimama.blog.so-net.ne.jp/2008-04-15に出演(?)している方と同一人物ですが、今は自走に乗り換えて相変わらずアクティブに人生をエンジョイしています。 晦日に大雪の山越えをクリアして別府入り、大晦日は別府の地獄めぐりをご一緒してきました。 彼女はネットをあまりやらないので、お互いに近況を知らずにいたのだけど、来年以降も交流を持てそうな予感です。33_640.jpg

さて、2010年が終わって、あと数時間で2011年。 来年も遊ぶぞ~[手(チョキ)]

 


おのぼりさん [日記]

久しぶりに東京へ行ってきました。 先月も東京都内には行ってきたのですが、都下の小平までだったし、泊まらずにすぐ移動してしまったので、あまり「上京した」って感じではなかったのです。

今回は23区内に突撃~? お泊りは数年前まで住み着いていた練馬某所の会社前駐車場。

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池袋に行ったら、softbank前に「おとうさん」がいました。 実物大のようです。 もちろんつくりものですが、とてもリアルでした。 チョビとツーショット写真を撮りたかったのですが、「お手を触れないでください」の看板があったので、あきらめました。

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渋谷にも行きました。 駅前のスクランブル交差点ではあまりの人の多さに目が回りそうでした。 用事は渋谷区役所。 私は何故か本籍が渋谷区なので、抄本が必要なときにはここから取り寄せるしかないのです。(あたりまえだろ~!) 

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区役所となりには昔の「渋谷公会堂」今は名前が変わりましたが、若かりし頃、このホールにはずいぶん通いました。 ニューミュージック全盛の頃でした。(歳がバレルなぁ)

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渋谷の駅前にはアメリカでも有名なワンコ「ハチ公」の銅像。 写真を撮っている人が大勢いたので、私もチョビとツーショット写真を撮ってきました。 おもいっきりおのぼりさんです。

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東京の用事がすんだので、軽井沢に帰って(?)きました。 こちらでもいくつか用事があるので12月中頃まで滞在予定ですが、昨夜別府の母が肺炎で入院すると電話が・・・。 先日の東京では母も新幹線で上京していたので、おそらくその疲れが出たのではと思われ。。。 まだ73歳なのに、遠出ができなくなってしまったようです。

軽井沢はまだ本格的な冬には入っていないようです。